公開日:2023.09.11
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なぜDXはいつまでも「他人事」なのか?——金融業界のレガシー企業を事例に

なぜDXはいつまでも「他人事」なのか?——金融業界のレガシー企業を事例に

はじめに

昨今、あらゆる分野でDX(デジタルトランスフォーメーション)の重要性が叫ばれています。しかし、なかなかDXが進まない企業も多いのではないでしょうか。その原因は、DXに対する考え方のなかに潜んでいます。ここでポイントとなるのは、「DXの主体はそもそも誰なのか?」ということ。

DX施策としてよくあるのは、「アナログでやっていた作業をそのままデジタル化する」というものです。正しそうに見えますが、主体が「人」ではなく、作業すなわち「タスク」になっていることに問題があります。アナログでやっていた作業をデジタル化するだけで、DXが達成できるわけではありません。これでは「人」がどう変わっていくか?の観点が抜けて、新しい雑務が増えて現場には嫌われてしまう、DXがいつまでも「他人事」の施策になってしまいます。他人事では、組織全体として熱が入りませんし、インパクトを及ぼすこともできません。

本当にDXをしなければならないのは、個別のタスクではなく、ユーザの体験そのものです。私たちの身体性をデジタル・トランスフォーメーションさせることができるかどうかで、DXが成功するかどうかが決まります。そういう意味で、DXは小手先の技術ではなく、多かれ少なかれ組織や慣習、文化の破壊と創造を伴います。逆にいえば、その破壊を受け入れられるかどうかで、今後生き残れる企業が決まるといっても過言ではありません。

では「私たちの身体性をDXする」とは、どういうことでしょうか。例えば、銀行で「アプリを作ろう」という話になったとします。これはDXという言葉からすれば、一見正しい発想ですよね。ですが「アプリがあればいい」「アプリでユーザを囲い込みたい」という話の行き着く先は、「銀行ATMみたいなものをアプリで再現する」ことになってしまいます。実際のユーザの体験とは違うものとなるのです。

銀行に行ったとき、ちょっと立ち止まってあたりを見渡していると、受付前に立っている方が寄ってきて、「今日はどうされましたか」と聞いてくれます。そして「じゃあこの紙を書いて、あちらで待っていてください」と指をさして行動を促してくれます。本当にDXをしたいのであれば、この部分の身体性ある体験からDXを考えていく必要があります。

何か、お金についてやりたいことがあったとき、私たちはまず店舗に行くわけですが、どの紙を書いて、どの窓口に行き、どういう相談をするのかというのは、実はよく分かっていないことも多いです。受付の前に立っている方は、その「分かっていない」部分をセンシングしてくれているんですよね。窓口の方に促されることで、「自分は本当はこういうことをしたくて、そのためには何をするべきなのか」が見えてくるわけです。でもほとんどの金融系のアプリは、「自分は投資信託をしたいんだ」とか明確に認識していないと使えません。「よくわからないけど、とりあえずお金について不安があるから相談をしたい」という人が、「ファイナンシャル・プランニング」というリンクを叩くかというと……答えはノーでしょう。

例えば、お金の相談をしたくて「このままでは貯蓄がさまざまなことが不安で……」というときに相談できる機能が銀行にはあります。お客さまは、いきなり具体的な相談をするのではなくて、何か答えをくれそうなところに訪れ、具体的な相談をするふりをしながら、曖昧に答えを求めに行くわけです。お客さま一人ひとりの中にある漠然とした不安感を解消するために。しかし残念ながら、いま「DX化」された金融アプリで、こうした曖昧なユーザの機微に寄り添えているものは、あまり多くありません。

「深さ」を追い求めるのが「丁寧に見る」とは限らない

ある新しい技術が出てきたら、それまでその仕事をしてきた人は代替されてしまいます。例えば、日本にいると、飲み物を売っている人は、(露店が並ぶようなお祭りでもないかぎり)街なかにはいません。それは自動販売機があるからです。ですが、それまでは街なかで飲み物を売っている人たちがいたはずです。そういう人たちは自動販売機が普及して以降、もしかすると喫茶店を開いて空間を提供したかもしれません。環境に応じて、仕事を変えていったはず、変えざるを得なかったはずです。

私たちは、技術と世の動きに合わせて事業や働き方を適応させ続けてきています。利用者の変化に対しても、同じように向き合うことが必要です。近年の変化の大きい時代には、これまでの体験をデジタルに移すことだけでは不十分です。根本からの価値観を転換させ、ユーザ体験を理解しなければなりません。

ユーザ体験を本当にトレースできていると思うアプリを一つ挙げるとしたら、金融業界ではありませんが、配車サービスのGOでしょう。GOのアプリを開くと、いま車がどの位置にあるのかが見えるんです。街なかで「タクシーを拾いたい」と思ったとき、一番最初にすることって、タクシーが走っているかどうかをあたりを見回すことです。そういう状況を、アプリのなかで見事に再現している。さらに言えば、それを鳥瞰できるくらいに能力を拡張したようなカタチのアプリになっています。

普通は「タクシーをDX化しよう」といわれると、配車業務と同じように「あなたはいまどこにいますか」と最初に尋ねたくなるものです。それは、配車業務をなぞってデジタル化しているだけですよね。デジタルの力を使って、その人の「できる」という状態を表現してあげる、拡張することが本当のDXではないでしょうか。GOが使いやすいのはそこにあります。アプリを開いた瞬間に、タクシーが見えたら「いま乗れる」「目的地に行ける」ということを担保された気分になるからです。

このように、ユーザ体験を丁寧に見ることはきわめて重要です。ですが、ここで一つ気をつけてほしい点があります。「深さ」に注目することを、「丁寧に見る」ということだと思う人が多いということです。実は深さだけではなく、「いつからその行為がはじまっているのか」という「長さ」にも注目しなければなりません。

デザイン領域では、「カスタマージャーニーマップ」という手法が用いられます。カスタマージャーニーマップのいいところは、そのサービスやプロダクトを使っているときだけでなく、その前後の段階にも注意が向くところにあります。タクシーの話であれば、タクシーを実際に呼ぶ場面ではなく、「行きたい」と思い立った場面から、DX化できるかどうかを考えてみましょう。

金融でも同じように、「いつからその行為がはじまっているか」というところにポイントを広げてDX化の検討をすべきですし、「なぜそのユーザは銀行に行こうと思ったのか」という行為をはじめから意識する必要があります。そのためには、「将来のお金のことが気になるタイミングはいつから?」「どこからDXするのか?」ということを常に意識しないと、業務のデジタル化にすぎなくなってしまいますし、その結果として体験が不便なものになってしまいかねません。

地殻変動を起こさなければ何も変わらない

DXを小手先のものにせず、本当の意味で成功させるためには、ユーザ体験への理解を起点とした、事業全体のドラスティックな変化が必須です。とはいえそれは簡単なことじゃありませんし、レガシー企業であればなおさらでしょう。ドラスティックな変化を引き起こすには、大きく分けて2つの方法があります。カリスマ的な社長が率先して舵を切るか、外部から刺激を与えるかです。

例えば「あなたたちのやっていることって、業務のデジタル化にすぎなくて、トランスフォーメーションはしていないよね」という話を、組織内部の人から直接伝えたら、ハレーションが起きてしまいます。しかし外部の人ならそれを伝えやすいですし、効果的なことも多いです。

人類学の知見を借りると、組織の内部の人たちは仕事を仲間として進めていることで、「贈与交換」の関係が結ばれているといいます。ビジネス上の同僚といえども、日々の業務の中で持ちつ持たれつとなる関係です。より平易にいえば「しがらみ」がある状態といえるでしょう。しがらみがあるからこそ、連帯でき、そのなかの人と共に動くことができますし、結果として物事も大きく動かすことに繋がります。しがらみのあるなしは、単純な良い・悪いといった話ではないのです。

DXとは、文字通りトランスフォーメーションすなわち、デジタルの力によって変容することであり、デジタルにすればいいというわけではないのです。いわば、地殻変動みたいなものといえるでしょう。「贈与論」のモースが述べたように、かつての民族同士の絶え間ない諍いを解決したのは、理性を持ち、平和への意思を持つこと。そこではじめて、「諸民族は戦争、孤立、停滞を協同関係、贈与、交易に変換させることができた」といいます。争いのパラダイムから贈与のパラダイムへと変化することで、平和へのトランスフォーメーションができたのでした。

DXは、パラダイムそのものを変化させるような、インパクトを与える行為です。そうすると、ただ業務をデジタル化するだけではDXとは言えないと言うことでしょう。既存事業へ繋がるリソースを総動員し、すべてを使い切るような覚悟や、これまでとはまったく違う価値観を得てはじめて、トランスフォーメーションがなされるのではないでしょうか。

社外の人々という存在は、しがらみがなく割り切れる関係です。だから「目覚まし役」として言いにくいことも言えるし、自分たちの知識やノウハウを切り取って、専門的なアドバイスを行える。

僕がよくお客さんに嫌われるパターンとして、「そこまでのことはやろうと思っていませんでした。ただアプリを作りたいだけなんです」と言われることがあります。もちろん、まずはアプリを作りたいという場合はありますし、それを否定するわけではありません。ですが、他社を追い越して文字通りの変革まで起こしたいのか、そこにアプリは必要なのか……DXを本当の意味でしたい場合は、その点をはっきりさせた方が良いのではと思っています。

「しがらみ」をうまく活用せよ

本当のDXのはじめは、会社のなかでいわゆる「DXの担当者」が決まったタイミングではなく、要件定義や要件資料をまとめていったなかで、「何かが良くないんだけど、何が良くないのかわからない……」となったときだと思います。実際、「こんなことやっていても、何も変わらないだろうし、意味を持った施策にはならないだろうな」という感覚が生まれたタイミングで、外部に委託する意思が生まれるのではと思います。

例えば企業様からゆめみにご相談いただく際、議論を深めていくと当初の予定とは大幅に違う視点になることも多々あります。そのとき、お客様から「いまの予算じゃできないよね」「そもそも論に戻らないでほしい」というコメントをいただくことがあります。

根本の部分からDXをするとなると、これまで予想できなかった大きな変化が起き、社内の負担が非常に大きくなってしまうのです。それでも、担当者の方が「本当にDXをやるんだ」と強く思い、積極的にまわりを巻き込んでいくケースで、DXは成功しているように思います。

「このままだとちょっと違うかもしれない」「いい未来に繋がらないんじゃないか」というくすぶった火に対して酸素を送り込む役割として、外部の企業がいるのです。そうすることで、それがやがて大きな火になる。現場に違和感を持っている担当者と、その違和感を解きほぐして指摘できる外部の協力者が揃ったとき、いいパートナーシップが生まれます。互いにリスペクトして、互いの専門性を生かしていくような関係が理想です。

ここでいう専門性というのは、単なるスキルや態度のことではありません。DX担当になった方にやっていただきたいのは、DXの重要性をことさら喧伝するというよりも、むしろ「チーム運営」に注力することです。潤滑油としての役割を持つ人が力を発揮しないかぎり、DXは実現しないからです。

たまにDXの担当になって、やる気にあふれすぎてしまう方がいます。しかし担当者が息巻いているだけでは、絶対にDXはうまく行きません。組織のなかでDXの担当になったとき、まずやるべきなのは足元を固めることです。

逆に、外部の力をうまく使うことも大切です。ハッカソン・アイデアソンや、大学との産学連携、「学生さんに銀行DXを考えてもらいました」のような企画など、うまく外部を使ってみる。ゆめみのような外部の組織と協業するときも同じです。僕らは、いわば組織から切り離されている存在です。DXをあるべき方向へ導くために、ぜひ活用していってほしいですね。

おわりに

DXを進めていくうえで、最後にもう一つ考えてほしいのが、DXが進んだ先の未来です。DXが進んでいけば、やがて仕事を失う人が出てくるかもしれません。それでも、「そのアプリはやる意味があるから協力したい」とその人に言ってもらえるかどうかは、きわめて重要な論点です。

その人にとって「本質的ではない」と思えることが減り、「やりたいことに当てられる時間が増える」という状態が、今後めざすべきDXの形でしょう。

環境が変わっていくなかで、「自分ができることのなかで、価値を生むものって何だろう?」と本質の部分を都度問い直し、立ち戻ることが必要です。例えば「飲み物を街なかで売る」という話であれば、「飲み物を飲みながら会話していた内容」、「ただ話すだけでは誘いづらいが、目的(飲み物)があると会話に誘いやすくなる」といったことが本質的な価値かもしれません。であれば、飲み物を提供するカフェをやる・居酒屋をやるということに縛られず、場の提供が大事なのだと思えます。仕事の価値を変えずに、やり方を変えられるのです。

すでにさまざまな領域で、DXは訪れています。金融業界でもそれは同じで、このまま放っておいても、DXはどんどん進んでいくでしょう。せっかくやるからには、ちゃんと主導権を持って取り組みたいですよね。それこそ、「他人事」にせずに。

参考資料

  • 『贈与論』マルセル-モース
  • 『コクヨ野外学習センター 働くことの人類学・第6話「テクノロジーと共に働くこと」』コクヨワークスタイル研究所+黒鳥社


Special Thanks
専修大学  ネットワーク情報学部 上平 崇仁教授

監修:YUMEMI CDO 野々山 正章  文:石渡 翔